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Friday, June 7, 2013

ロシアンレース

Кружево クルージェボレースドレス

ロシアンレース紹介
クルージェボは、ロシア民族文化の独特なものです。
7つの音符でメロディーと音の世界をかもし出す音楽の様に、レース編みは、ごく少量の素材(亜麻布、ネット、編み紐や格子)を使って、無限の模様と優美な美しさの製品を作り出し、私たちの美の感覚に一撃を与えるものです。
レース編みを行う編み子さん達は、自分の編みの技術だけでなく、ロシア女性の暖かくて深い心を編みこんでいるのです。
「クルージェボ」という言葉は、ロシア語では二つの違った意味を持ちます。
一つは、「オクルジャッチ」(取り巻く)という言葉か出たものです。
これらはロシアに於いて、床や衣服の袖の縁取りの色々な装飾として定義付けられました。それらは亜麻布でできた様々な模様や色の布であったり、色々な紐または刺繍で編まれたものでありました。
もうひとつの意味では、これらは独自の透かし編みの製品であり、衣服や調度品への独自の装飾であり、またはそのような物に由来するものであります。

17世紀に西ヨーロッパより受け入れられてから、ロシアのレース編みはヨーロッパ諸国の縫い子の最高の伝統として保存され発展しただけではなく、最も重要な事に、守り続けられてきたロシアの民族衣装のオーナメントとして豊富な色合いや多彩な技術を表す特別なものとなり、ロシアオリジナルの芸術的で、民族的なものとなりました。

最初にロシアのレース編みについてふれられているのは、16世紀の年代史で黄金と呼ばれたものです。16世紀の後半に記念のものとしてレース編みで作られた多数の肖像画が作られました。1557年に厚紙に作られたそれらの刺し画が残されています。
黄金と銀のレース編みの伝統は、ルーシの時代にずいぶん長く保存されておりました。この時代のレース編みの特徴として金や銀の糸で編まれておりました。この時は手工芸の技術としてだけではなく、輝く高価な素材の糸を使ったものとして高い評価を受けました。
レーステーブルクロス
高価なレース編みは、豪華さや裕福の象徴としての飾り物として使われておりました。レース編みは重さ単位で売られている程でした。
皇帝の祝典、モスクワ公国の地主または教会の衣装の装飾として使われ、上流階級や教会衣装の象徴として使われておりました。金色のクルージェボは衣装に使われる輸入品の錦の布などに美しく組み合わされて使用されました。

17世紀にはクルージェボは、金糸や銀糸だけではなく、金の細いより糸でも編まれるようになりました。この様な材料のおかげで製品のレリーフを際立たせる事が出来る様になり、立体的でふっくらした装いを出す事になりました。

女帝エカテリーナII世の謁見着に、全てに細かい銀のクルージェボが施されたものがあります。しかし女帝がこの謁見着を着たのは、そのあまりにも重すぎる重量から、たった1回だけでした。その衣装は引裾を加えると16kg以上もありました。エカテリーナ

18世紀になって金糸、銀糸のクルージェボが付いた衣装は広く広まる様になる中で、糸のクルージェボに変わっていきました。
ピョートルI世の改革は、ロシアの生活様式に大きな変化を与えました。
特に人生の知識について。
男性、女性の服装の装飾、新しいヨーロッパ式の裁ち方、インテリアの飾り方にニットのクルージェボが使われる様になりました。徐々に金糸を使ったクルージェボが最小限の段階まで減ってきました。
大きいレースから柄の一部分だけが切り離されたり、輪郭だけに使われたりする程度となりました。

ノボデービチ1725年にピョートルI世はブラバンタ修道熟練工の中から250名の孤児修道僧をノボデビッチュ修道院内でオランダのニットを使ったクジェーボ網の紡績を学ばせるために選び出しました。ヨーロッパ式の生活様式の導入と共に、クルージェボはロシアに於いて未曾有の広がりを見せる事になりました。
地主の家屋では、農奴の娘達が朝から晩まで自分の主人の為にクルージェボを編んでおりました。
18世紀の終わりから19世紀の初めの頃には、最初の農村の手工芸が現れました。レース編みは家内手工業となっていきました。これらは今や都市住民でも農民でも行う様になりました。

1861年に特記すべき事に、17のロシアの県に於いてレース編みのそれぞれの独自のセンターが組織され、レースの編み子の数も10万人まで増えました。
クルージェボのレース編みは村中全体で行われる様になりました。その時代には、ごく一般的な人々でも貧素ではない、美しい模様のレースで身を飾る程になりました。レース2
ロシアの女性は、皇帝から農民までこの手芸を行う様になりました。

ロシアに於けるクルージェボレース編みの研究者達は、ロシアのレース編みをモチーフと絵との二つのグループに分けています。アリストクラート(貴族階級)のクルージェボと庶民のクルージェボです。以下のクルージェボが存在しています。
1.編んだクルージェボ
2.刺繍のクルージェボ
3.編み棒を使ったクルージェボ
4.フォークその他を使ったクルージェボ

世界的にはレース編みといえば上記の上から二つの事でしょう。
最も広く使われているのは、編んだクルージェボです。

クルージェボレース編みの方法
編み方の方法によってクルージェボは、数式法、刺し写し法及び連結法に分けられます。数式法のクルージェボは、最も古くて原始的な方法であり、編むのに針刺しを行わずに、クルージェボを編みこむための特殊なクッションに隅を安全ピンでくっつけます。
この編み方は、現在ではほとんど使われておりません。レース編み
刺し写し法のクルージェボは、他にも「多対式」とも呼ばれています。なぜならば、それは多くに対によって編まれているからです。そしてたまにはその対がの編み棒からなる場合もあります。この場合には、刺繍を絡ませない様にする為に、どれだけ神経を使って束ねるか、ご想像できると思います。
この様なクルージェボは事前に準備された絵模様や刺し針模様をクッションに貼り付けて編まれます。
絵のポイントや刺し針模様の小孔に刺された安全ピンはこの独特の模様の入った布の縦糸と横糸をしっかりと押さえています。刺し写し方のクルージェボの特徴は、ネットによって図柄が編まれていることです。
その場合、ネット本体とそれによって描かれた図柄は同時にほどけることになります。連結法のクルージェボは、編み棒の対になる部分のごく少量の部分的かあるいは、あらかじめ指定されている絵模様、あるいは刺し模様の部分しかほどけることはありません。
しかしながら、この様な特殊なクルージェボ用の絵模様や刺し模様は刺し写し法、多対法のクルージェボのものとは大きく異なります。

ロシア各地のクルージェボの特徴
Вологодские кружева ボログダのクルージェボ

ごく最近のソ連邦時代にとても有名だったのは、ボログダ地方のクルージェボでした。ボログダ県に最初のクルージェボ家内工業が出来たのは 17世紀の事でした。
最初の工房はボログダ公害のクベイ湖周辺の村に出来ました。ロシアの古い伝統に基づいて、これらは金糸、銀糸による製品でした。
19世紀の初めに、ボログダ地方のスタイルは独自の特徴を持つものとなりました。この時からクルージェボ編みは、現地の住民にとって主な職業となり、生活の基盤となる様になりました。最初の段階では、農奴の娘によって地主の工房で行われていました。
最初は、ドイツやブリュッセルやロシアの伝統的なクルージェボをお手本として作られました。それらを手本にして創造的に作り直しました。
そして二つとないボログダスタイルというものが出来上がったのです。ボログダレース
ロシアの伝統的なクルージェボはカラーのものでしたが、ボログダのものは白と黒のモノトーンで、時には撚ってありました。
ボログダのクルージェボ編みには優先的に亜麻が使われました。編み目がしっかりとしていて模様があって白い北国のボログダのクルージェボは、窓についた氷の模様や霜でおおわれた冬の森を想像させました。ボログダのクルージェボは、基本的な図柄と色調によってはっきりと識別されています。
ボログダレース2ボログダのクルージェボの基本的な模様は、花、樹木、雪の結晶です。クルージェボの構成要因は、表現豊かなその土地の呼び名を持っています:「 Denezhka 」(小銭)、「Pauchok」(小グモ)、「Pugovka」(ボタンちゃん)、「Belezka」白樺)。
大きく広められたモチーフは、広いキジムシロ (バラ科の植物)の葉っぱの乗った潅木模様の上に6つまたはそれ以上の花びらの花模様をかぶせた草の根模様でした。
時にはこの草の根模様全体にバラの “花”が咲くこともありました。このモチーフは、伝統的なロシアの壁画などから借用されたものです。絵ははっきりとした曲がりくねった輪郭の大きいものでした。
輪郭作りには強固なフォークが使われました。柄には六角形や、丸、四角形の小さなネットが使われました。基本的な柄の模様の代わりに、ちりばめたバラの花びらや“小枝”の模様が使われる事もありました。
15世紀のモチーフのテーマは古典的なテーマとはかなり違っておりました。
最も人気のあるモチーフはおとぎ話の幸せの鳥でした。ソビエト連邦の時代になると、ボログダの芸術家達は模様を技術の発展をテーマとしたものに変えていきました。モチーフの中には飛行機やロケット、パラシュートなどが描かれました。
こういった要素は主としてテーマ的な総則壁面に使われました。

Киришское кружево キリーシュクのクルージェボ
18世紀の初めの頃、後のレニングラード州となる地域に於いて、キリーシュクスタイルの編み方が現れました。その中心となったのはザホージェ村、現在のビートカ村でありました。
首都であったサンクト・ペテルブルグに近い事もあり、その新しいモードで需要が急速に広がって、この地に工房が発達しました。
キリーシュクのクルージェボは、多対方式の技術によって出来ております。工房はイタリアの模様の浮き出たレースの影響を受けて、ロシアの模様編みに追加される形で完成しました。キリーシュクレース
その結果として、模様に軽さと透明感、そして細やかさの違うものが完成しました。絵の輪郭は、珍しい亜麻布で作られました。模様は、平面的な素材によって満たされた周囲のモチーフで出来上がっています。模様の構成は、白や赤の糸を加えた漂白された糸によって編まれたネットによって構成されています。
キリーシュクのクルージェボのモチーフの性格は、“クマの手”まるで指を開いた様な五つの波縁飾りで表されています。
伝統的なキリーシュクのモチーフには、“夜”、“花“、”もみの木“、”真珠“、”寒波“、”小川“などと非常に伝統的な表現力に富んだ名前がつけられています。
Вятские кружева ビャーツクのクルージェボ
レースドレス2ロシアの北方の3つ目のクルージェボ編みの中心は、ビャーツカヤ(ソ連邦時代のキーロフ)地方です。
ここの工房は18世紀頃に大農村クカールカやその周辺の村々から始まりました。1872年にクカールカ村立クルージェボ学校が開校しました。
キーロフのクルージェボも同様に多対方式の技術によって編まれるものですが、
独自のものを持っております。それらは豪華さや軽さ、透明感に少し違いがあります。
ビャツクのクルージェボに使われる亜麻布は、急なカーブや鋭角の角度で編まれており、あるものは広げたり、縮めたり出来る普遍の幅や堅さを持っています。
それは単に模様が収まっているのではなく、つまり模様から成り立っているという事なのです。
線状細工によって輪郭が強く強調されています。ビャーツクのクルージェボのネットは、とても軽くて細いもので、頻繁に編み垣が使用されています。
オーナメントは主に、花、小枝そして葉っぱです。

Елецкие кружева エリーツクのクルージェボ
エーリツェ市を中心とするオルロフ県に於いて、19世紀の初め頃もうひとつのクルージェボ編みの工房が出現しました。この地域ではクルージェボ編みが出来たのはほかに比べて遅いのですが、急速に発達し、はっきりとした特有のものを作り上げました。
エリーツクのクルージェボの模様は、他のクルージェボのどれにも似ていませんでした。それは細かいフォームや、軽さ、透かしやさまざまな部分で他とは違っていました。エリーツクのクルージェボ
そこには透明性に於いて詰まった網目から軽い網目へ移行する段階がありました。模様や直接図柄には、はっきりとした境目がありませんでした。
オーナメントは、“タデの木”、小グモ“、”雪の結晶“、”真珠”、“小川”、“小船”、星“など幾何学的なモチーフでした。植物や花、花束等の絵はめったに見られませんでした。
エリーツクのクルージェボの縁は、通常は柔らかい楕円形のぎざぎざ状の線が縁と網目の軽いネットの間に引かれており、模様は透明な円形の透かし編みのチェーンでつくられておりました。
このクルージェボの技術は主に連結法であり、多対法はまれでした。
Рязанские цветные кружева リャザンのカラークルージェボ
ロシアでもっとも南のクルージェボ編みの中心は、リャザン地域のミハイロフ及びスコーピン地区に位置します。
ここのクルージェボは、独特のなものです。ヨーロッパの影響を自分で試みてみました。古い刺し写しを使わない数式法によって編まれました。この地域では、クルージェボ編みは伝統的な手作業によって行われました。絵柄は古いもので、ポピュラーなモチーフは、“小鈴”、“尖ったもの”でモールのクルージェボでした。リャザンクルージェボ1
モールのクルージェボは網目の詰まりとメッシュに大きな違いがあります。ぎざぎざははっきりとは表わさず、色によって表現されていました。“尖ったもの” -これは網目の詰まったクルージェボは、輪から切り離された上の部分にはっきりと現れる三角形のぎざぎざで表現されました。
“小鈴”-これは半円形のぎざぎざ模様で、コントラストを出す糸の横に並べて編み込まれておりました。通常は赤色、白そして青色でした。
重要なのは、リャザンのクルージェボは、多彩な色使いという事で特徴付けられます。特に多い色は、赤色、青色、黒色、黄色、灰色、緑です。リャザンクルージェボ2
使われる糸は比較的太いものです。さほど困難なものでもありませんが、ミハイロフスキーのクルージェボの色鮮やかな模様は、ロシアの民族の編み物にとても良く融合しています。
スコーピンのクルージェボは、もっと複雑な模様で繊細で、エレガントなものです。スコーピンの職人達は、数式方と同時に多対法と連結法の技術も織り交ぜておりました。

結論
世界中で、手作りの作業はとても高く評価されています。質の高いモードでレースやクルージェボの模様を見ない事はありません。21世紀のモードでは、毛皮によるクルージェボのマントや、レースの下着ズボンが普通のズボンにとって変わっています。
21世紀のモードの最後の言葉は、クルージェボのズボン、これはなにを意味するかと言うと、クルージェボは、正に予期しない、経験した事のない分野でも使われるという事であります。
つまり、民間伝承と過ぎ去った時代のモードの中で、世界のデザイナーによって、インスピレーションとして引き出されているのです。例えば、ボログダのクルージェボは、今年パリで行われた国際家具見本市に家具の装飾品として出品されました。
現在の手作業クルージェボは、高価な品物と同等に扱われ、そしてまた次の世代へ受け継がれていくのでしょう。
ガリーナ・ドゥートゥキナガリーナ・ドゥートゥキナ

クルージェボ デザイナー
ロ日協会副理事長

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